金大中

キム・デジュン(別名:김대중)

Kim Tae-jung

1924年1月6日 – 2009年8月18日 (85歳没)

韓国 政治家

金大中の人物情報

韓国の政治家で、第15代大統領(在任1998〜2003年)。全羅南道の荷衣島に生まれ、木浦で海運業を営んだのち政界に入った。1971年の大統領選で朴正煕を追い上げてからは、拉致、軟禁、投獄、死刑判決と弾圧を受け続けた。4度目の挑戦となった1997年の大統領選で当選し、選挙による初の与野党政権交代を実現した。北朝鮮との融和を図る「太陽政策」を進めて2000年に金正日と初の南北首脳会談を行い、同年ノーベル平和賞を受けた。ただし会談の前に計4億5000万ドルが秘密裏に北朝鮮へ送られていたことが、2003年の特別検察の捜査で明らかになり、側近らが起訴された。

同時代の人物

金大中が生まれた1924年には、日本で作家の安部公房が3月に、アメリカでトルーマン・カポーティが9月に生まれている。長く戸籍上の生年だった1925年の生まれには三島由紀夫がいる。三島が自決した1970年11月、金はその2か月前に46歳で野党・新民党の大統領候補に選ばれたばかりでだった。

2歳下の詩人茨木のり子は、1976年、50歳を前に韓国語を学び始め、のちに『韓国現代詩選』を編訳して読売文学賞を受けた。その年、金大中は「民主救国宣言」に加わったとして逮捕されている。

年齢で見る生涯

  • 26歳(1950年) 朝鮮戦争中、人民軍に捕らえられて木浦刑務所に入れられ、9月28日に脱出する
  • 46歳(1970年) 新民党の大統領候補指名で、決選投票で金泳三を逆転する
  • 47歳(1971年) 4月の大統領選で朴正煕に約94万票差で敗れる。5月、遊説中の交通事故で股関節を痛め、片脚が不自由になる
  • 49歳(1973年) 8月8日、東京のホテルから韓国中央情報部に拉致される
  • 56歳(1980年) 9月17日、内乱陰謀の罪で軍法会議から死刑判決を受ける。翌年1月に無期懲役に減刑
  • 73〜74歳(1997〜98年) 1997年12月18日の大統領選で当選し、翌年2月に就任する
  • 76歳(2000年) 6月、平壌で南北首脳会談。12月、ノーベル平和賞を受ける
  • 85歳(2009年) 8月18日に死去

朴正煕が61歳で世を去ったとき、金大中は55歳だった。大統領に就いたのは、朴の没年を13歳上回る74歳のときである。

人物のつながり

  • 朴正煕:1971年の大統領選の相手で、拉致と投獄の時代の最高権力者。大統領となった金大中は、朴正煕記念館の建設に国費を出すことを決めた。
  • 全斗煥:1980年、金大中に死刑を言い渡した新軍部の指導者。17年後、大統領に当選した金大中は、全斗煥の赦免に同意した(エピソード参照)。
  • 李姫鎬:2番目の妻。獄中の夫を手紙で支え続けた。
  • 小渕恵三:1998年10月8日、金大中とともに「日韓共同宣言」を発表した日本の首相。同月20日、韓国は日本の大衆文化の開放に踏み出した。

エピソード

「世界でいちばん美しい月」(26歳・1950年)

朝鮮戦争が始まった日、ソウルにいた金大中は、20日かけて木浦に戻ったところを人民軍に捕らえられ、木浦刑務所に入れられた。キム・テックンの評伝によれば、撤退を命じられた人民軍は、囚人を20人ずつ連れ出して処刑していった。金が順番を待つうちに、囚人を運ぶトラックが路上で故障し、人民軍はそのまま北へ去ったという。9月28日、金は差し入れ口から看守のズボンの裾をつかんで外の様子を確かめ、仲間と鉄の扉を破って脱出した。明け方の通りで妻の車容愛と再会したときの月を、金は50年後もはっきり覚えていて、「世界でいちばん美しい月」だったと語っている。

はがき1枚に1万4000字(57〜58歳・1981〜82年)

死刑から無期懲役に減刑された金大中は、1981年1月31日から清州刑務所の約1.7坪(約5.8㎡)の独房で、囚人番号「9」として過ごした。妻の李姫鎬は毎日のように手紙を書いたが、金が書けるのは月に1度、封緘はがき1枚だけだった。そこで「尊敬し愛するあなたへ」で始まる手紙に細かな字をびっしりと詰め込み、1枚に1万4000字を書いたこともある。拡大鏡なしでは読めないほどだった。この時期に金を担当した刑務官の姜福基は、2000年のノーベル平和賞授賞式に、現職の公務員としてはただ1人招かれた。

「私が死んでも、政治報復はあってはならない」(56歳・1980年)

1980年9月13日、軍法会議の最終陳述で、金大中は共に裁かれる被告たちに語りかけた。自分が死んでも、二度とこのような政治報復があってはならないことを遺言として残したい、と。4日後、死刑が言い渡された。17年後の1997年12月、大統領に当選した金は、任期末の金泳三大統領と会い、全斗煥と盧泰愚の赦免で合意した。12月22日に特別赦免が決まったが、世論の反発は強かった。金は自伝で、反発は予想していたが、「これ以上の政治報復や地域対立があってはならない」という願いを込めた象徴的な措置だったと振り返っている。

出典・参考資料

  • 대통령기록관「김대중 대통령 약력」(https://www.pa.go.kr/online_contents/president/history15.jsp)、한국민족문화대백과사전「김대중」(https://encykorea.aks.ac.kr/Article/E0078635)、위키백과「김대중」「대한민국 제7대 대통령 선거」(新民党の候補指名大会の票数)、Wikipedia「金大中」、한국일보「71년 DJ교통사고 베일벗나」(2002年9月16日)、한국일보「특검수사 발표문 <요약>」(2003年6月26日)、경향신문「[어제의 오늘]1998년 일본 대중문화 1차 개방 발표」、Wikipedia(en)「Japan–South Korea Joint Declaration of 1998」、日本弁護士連合会「金大中事件死刑判決について」(1980年)、茨木のり子については東京新聞「隣の国のことばですもの 茨木のり子と韓国」書評ほか
  • 김택근「인민군에게 잡힌 DJ, 어떻게 살아남았나?」(프레시안、2011年9月15日、評伝『새벽』連載第5回、https://www.pressian.com/pages/articles/66802)
  • 경향신문「김대중과 이희호, 그들이 '사랑하고 존경했던' 7가지 일화」(2019年6月14日、https://www.khan.co.kr/article/201906141512001)
  • 충북일보「DJ 생사갈림길 함께한 청주교도소」(2009年8月18日、https://www.inews365.com/news/article.html?no=92361)
  • 한국일보「노벨상 시상식 초청인사들」(2000年12月7日、https://www.hankookilbo.com/news/article/200012070068566854)
  • 서울신문「낭비 없이 빼곡히 채운 사랑과 존경… 절실함으로 써내려간 '김대중 옥중서신'」(2026年1月2日)
  • 오마이뉴스「김대중 사형 선고받고 '최후진술'」(김삼웅、광복80주년 명문100선、https://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0003104173)、펜앤마이크「김대중 내란음모사건 최후진술(1980. 9.13)」
  • 파이낸셜뉴스「[fn사설] 김대중 전 대통령은 왜 전두환을 사면했을까」(2021年1月3日、『김대중 자서전』を引用)、MBC뉴스데스크「[전두환,노태우사면]국민 대화합 첫 단추」(1997年)