ジョン・F・ケネディ
ケネディ
Kennedy, John Fitzgerald
1917年5月29日 – 1963年11月22日 (46歳没)
ジョン・F・ケネディの人物情報
アメリカ合衆国の第35代大統領です。ボストンの富裕なアイルランド系の家に生まれ、第二次世界大戦では太平洋で魚雷艇の艇長を務めました。戦後は下院議員、上院議員を経て、1960年の大統領選挙で共和党のニクソンを破りました。選挙で選ばれた大統領としては史上最年少の43歳でした。在任中はキューバ危機への対応、アポロ計画の推進、公民権法案の提出などに取り組みましたが、1963年11月、遊説先のダラスで暗殺されました。
同時代の人物
ケネディが生まれた1917年には、日本で作家の島尾敏雄が生まれています。ケネディより1か月あまり年上です。2人とも太平洋戦争で小型の高速艇を率いる指揮官になりました。ケネディは米海軍の魚雷艇、島尾は日本海軍の特攻艇「震洋」の部隊です。同じ年に生まれた2人が、同じ海の戦争で敵と味方に分かれていたことになります。
1歳下の1918年には、指揮者のバーンスタインが生まれています。ケネディと同じマサチューセッツ州の出身で、ハーバード大学の先輩後輩でもあります。
ケネディが亡くなった1963年11月22日には、イギリスで『ナルニア国物語』のC・S・ルイスも世を去りました。同じ日の出来事だったため、ルイスの訃報は大統領暗殺のニュースに埋もれてしまいました。
年齢で見る生涯
在任は2年10か月ほどでした。4歳上のニクソンが大統領になるのは、その6年後です。
人物のつながり
エピソード
「ろくでなし」を名乗った悪ガキ同盟(17歳・1934〜35年)
寄宿学校チョート校時代のケネディは問題児だった。校長は、規則を守らない生徒たちを「muckers(ろくでなし)」と呼んで叱っていた。ケネディは親友レム・ビリングズらと、その呼び名をそのまま名前にして「マッカーズ・クラブ」を結成する。いたずらが過ぎて、仲間とともに退学寸前まで追い込まれた。最終学期を前に、父に「今学期の成績のひどさについてレムと話し合い、もうふざけるのはやめると決めた」と書き送っている。それでも卒業のときには、同級生から「最も成功しそうな人」に選ばれた。
宇宙犬の娘がホワイトハウスへ(44歳・1961年)
1961年6月のウィーン会談の晩餐会で、ジャクリーン夫人はフルシチョフに宇宙犬ストレルカのことを尋ねた。1960年に宇宙を飛んで生還したストレルカは、ちょうど子犬を産むところだった。するとまもなく、その子犬が1匹、ホワイトハウスに届いた。名前は「プシンカ」(ロシア語で「ふわふわ」)である。ケネディは礼状に「母親の飛行ほど劇的ではなかったが、長旅によく耐えた」と書いた。のちにプシンカが産んだ4匹の子犬を、ケネディは「パップニク」(子犬+スプートニク)と呼んだ。
「ハーバードの教育とイェールの学位」(45歳・1962年)
1962年6月、ケネディはライバル校のイェール大学で名誉学位を受け、卒業式で演説した。冒頭で「これで私は両方のいいとこ取りだ。ハーバードの教育と、イェールの学位」と笑わせる。さらに「私の悩みの多くはイェール出身者から来ている」と続け、鉄鋼値上げで2か月前に激しく対立したUSスチール会長ブラウらの名前を、卒業年次つきで挙げていった。本題の経済政策では「真実の最大の敵は、うそではなく神話であることが多い」と説いた。
出典・参考資料