ヴィルヘルム2世

ヴィルヘルム

Wilhelm II.

1859年1月27日 – 1941年6月4日 (82歳没)

ドイツ 王侯

ヴィルヘルム2世の人物情報

ドイツ帝国の第3代皇帝で、プロイセン王である(在位1888〜1918年)。初代皇帝ヴィルヘルム1世の孫で、母は英国ヴィクトリア女王の長女。父フリードリヒ3世が在位99日で亡くなり、29歳で即位した。1890年に宰相ビスマルクを辞任させて自ら政治を主導し、海軍の大拡張と「世界政策」で英国などとの対立を深めた。第一次世界大戦末期の1918年11月、革命のなかで退位が発表され、オランダに亡命する。1920年からドールンの館で暮らし、1941年にその地で没した。

同時代の人物

1859年の同い年には、英国の政治家ジョージ・カーゾン、コナン・ドイル、ピエール・キュリー、エスペラントを考案したザメンホフがいる。「世界政策」を掲げた皇帝と、国境を越える共通語を夢見た眼科医が同い年である。日本では『小説神髄』の坪内逍遥が同じ年に生まれた。

皇帝が亡くなった1941年の夏には、クノッソス宮殿を発掘した考古学者アーサー・エヴァンズが約5週間後に、インドの詩人タゴールが約2か月後に世を去っている。

年齢で見る生涯

  • 29歳(1888年) 3月に祖父、6月に父が亡くなり、即位する(「三皇帝の年」)
  • 31歳(1890年) ビスマルクを辞任させる
  • 36歳(1895年) 「黄禍」の寓意画の原案を描き、ロシア皇帝ニコライ2世に贈る
  • 41歳(1900年) 義和団事件の鎮圧に向かう部隊に、容赦するな、捕虜はとるなと呼びかける(「フン族演説」)
  • 55歳(1914年) 第一次世界大戦が始まる
  • 59歳(1918年) オランダへ亡命。身を寄せたアメロンゲン城で、1年半ほどの間に約1万3000本の木を伐り倒したといわれる
  • 61歳(1920年) ドールンの館に移る。ここでも木を伐り、のこぎりで挽くのが日課になった
  • 82歳(1941年) ドイツ軍占領下のドールンで死去

在位はおよそ30年、亡命生活は22年半あまり。人生の4分の1以上を「元皇帝」としてオランダで過ごした。

人物のつながり

  • ヴィルヘルム1世:祖父。1888年3月に90歳で亡くなり、在位99日の父を挟んで孫が帝位を継いだ。
  • ビスマルク:祖父の代からの宰相。1890年、31歳の皇帝が74歳の宰相に辞任を迫った。
  • ヴィクトリア:母方の祖母。建艦競争で英国と対立しながらも、1901年には祖母の臨終を看取った。
  • アドルフ・ヒトラー:亡命中の皇帝は、ナチ党の台頭が帝政復活につながると期待した。1940年にはパリ占領を祝う電報を送ったが、帝政は戻らなかった。

エピソード

ひげ用品の名は「ついに成し遂げた」(31歳・1890年頃)

「カイゼル髭」の名で日本でも知られる、両端の跳ね上がった口ひげ。これを毎朝整えたのが、ベルリンの理髪師フランソワ・ハビである。1890年頃に宮廷理髪師となり、毎朝7時に王宮へ通って皇帝のひげを剃り、外国訪問にも同行した。ハビは自前のひげ用品も売り出し、「Es ist erreicht(ついに成し遂げた)」「Donnerwetter – tadellos!(こりゃ見事!)」と名付けた。寝ている間にひげの形を保つバンドは、皇帝をまねる国中の男たちの必需品になったという。

「黄禍」の寓意画を自ら描く(36歳・1895年)

1895年春、ドイツはロシア・フランスと組み、日清戦争に勝った日本に遼東半島を返還させた(三国干渉)。その秋、皇帝はニコライ2世に1枚の版画を贈る。9月26日付の手紙によれば、極東の情勢を案じるうち「考えがかたちになったので紙にスケッチした」ものを、画家に仕上げさせたという。大天使ミカエルに率いられた欧州諸国の女神たちが、東から迫る仏陀に立ち向かう図である。絵は「黄禍論」の象徴として広まり、1904年には森鴎外が『黄禍論梗概』でこの議論を日本に紹介した。

皇帝、自らスコップを握る(52歳・1911年)

皇帝は1907年、オーストリア皇后エリーザベトが建てたコルフ島の離宮を買い取った。皇后が愛したハイネの像を撤去させて批判も浴びている。1911年春には、島のアルテミス神殿跡の発掘に夢中になった。シュリーマンのトロイア発掘を支えたデルプフェルトを呼び寄せ、彼によれば「自らスコップを手に取った」。発掘の指揮は、ギリシャの法を迂回してドイツ側に移された。出土したゴルゴンの浮彫りへの熱は退位後も続き、1936年に『ゴルゴ研究』を出している。

出典・参考資料

  • Deutsches Historisches Museum, LeMO「Wilhelm II.」年表(生涯の年次、1940年の電報、1941年の死去)、Wikipedia「ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)」「三国干渉」、Wikipedia(de)「Völker Europas, wahrt eure heiligsten Güter」「Hunnenrede」
  • Wikipedia(de)「François Haby」(Elisabeth Bartel『Donnerwetter tadellos! Kaiser, Hoffriseur und Männerbärte』Stadtmuseum Berlin 2013 に拠る) https://de.wikipedia.org/wiki/François_Haby
  • Berliner Zeitung「Um des Kaisers Bart」(Maritta Adam-Tkalec、2020年2月5日) https://www.berliner-zeitung.de/stil-individualitaet/des-kaisers-bart-li.6027
  • 皇帝からニコライ2世への1895年9月26日付書簡(Jagdhaus Rominten。『The Willy-Nicky Correspondence』、Letter VI) https://www.gwpda.org/wwi-www/willnick/wilnickb.htm
  • Konstantinos Argianas「Zwischen Philhellenismus und Orientalismus des letzten deutschen Kaisers: Wilhelm II. auf Korfu」(comdeg.eu。Kalpaxis 1993、Wilhelm II.『Erinnerungen an Korfu』1924 を引用) https://comdeg.eu/essay/130698/
  • Virtuelles Ordensmuseum「Das von Wilhelm II. im Exil gestiftete Gorgo-Abzeichen …」(『Studien zur Gorgo』1936年、Doorner Arbeitsgemeinschaft) https://ordensmuseum.de/historische-oe/das-von-wilhelm-ii-im-exil-gestiftete-gorgo-abzeichen-und-die-gorgo-becher-der-doorner-arbeitsgemeinschaft-d-a-g/
  • Canon van Nederland(Utrecht)「Duitse keizer Wilhelm II in Huis Doorn」(アメロンゲンの1万3000本) https://www.canonvannederland.nl/nl/utrecht/onderwijscanon/duitse-keizer-wilhelm-ii-in-huis-doorn
  • Geschiedenis Beleven「Van Duitse keizer tot Doornse huismus」(ドールンでの薪) http://www.geschiedenisbeleven.nl/van-duitse-keizer-tot-doornse-huismus/
  • 森鴎外『黄禍論梗概』(春陽堂、1904年5月)