ジョージ・ワシントン

ワシントン

Washington, George

1732年2月22日 – 1799年12月14日 (67歳没)

アメリカ 政治家

ジョージ・ワシントンの人物情報

アメリカ合衆国の初代大統領で、独立戦争では大陸軍の総司令官を務めた。ヴァージニアの農園主の家に生まれ、測量士を経てフレンチ・インディアン戦争で軍歴を積んだ。1775年に総司令官となり、8年に及ぶ戦争を戦い抜いた。戦後は軍の指揮権を議会に返して農園に戻る。1789年に初代大統領に就き、2期8年で自ら退いた。その姿勢は、後の大統領の「2期まで」という慣例のもとになった。一方で、生涯にわたって多くの黒人奴隷を所有した農園主でもあった。遺言で、自分が所有する奴隷の解放を定めている。

同時代の人物

ワシントンが生まれた1732年には、作曲家のハイドン、画家のフラゴナール、水力紡績機のアークライトも生まれている。ワシントンが独立戦争を戦っていたころ、同い年のハイドンはハンガリーの貴族エステルハージ家の楽長として、交響曲を書き続けていた。

日本では、翌1733年に円山応挙と杉田玄白が生まれている。玄白らが『解体新書』を刊行した1774年の翌年、ワシントンは大陸軍の総司令官に就いた。ほぼ同い年の2人が、同じころに人生の大仕事に取りかかっていたことになる。

年齢で見る生涯

  • 19歳(1751年) 異母兄の療養に付き添ってバルバドスへ渡り、天然痘にかかる。生涯でただ一度の海外渡航だった
  • 22歳(1754年) 民兵を率いてフランス軍の部隊と交戦。フレンチ・インディアン戦争の発端の一つとなる
  • 43歳(1775年) 大陸会議で大陸軍の総司令官に選ばれる
  • 49歳(1781年) フランス軍とともにヨークタウンでイギリス軍を降伏させる
  • 51歳(1783年12月) 総司令官の職を議会に返し、マウントバーノンの農園に戻る
  • 57歳(1789年) 初代大統領に就任
  • 65歳(1797年) 2期8年で退任。3期目は引き受けなかった
  • 67歳(1799年) のどの急な炎症で倒れ、発病から1日ほどで死去

戦場での年月以上に、権力を手放した51歳と65歳の2つの場面が、ワシントンの評価を決めた。大統領を退いてからは3年足らずで世を去っている。

人物のつながり

  • ジョン・アダムズ:3歳年下。1775年の大陸会議で、ワシントンを総司令官に推した一人。のちに副大統領としてワシントン政権を支え、第2代大統領を継いだ。
  • トーマス・ジェファーソン:初代国務長官。政権内での財務長官ハミルトンとの対立が、政党の芽生えにつながった。
  • ジャン・アントワーヌ・ウードン:1785年にマウントバーノンを訪れて顔の型を取り、ヴァージニア州議会議事堂の大理石像を制作した。
  • ラファイエット:独立戦争に志願したフランス貴族。ワシントンを父のように慕い、息子に「ジョルジュ・ワシントン」と名づけた。

エピソード

スペイン国王から届いたロバ「ロイヤル・ギフト」(53〜54歳・1785〜86年)

独立戦争の後、ワシントンは農園の力仕事に強いラバを増やそうと考えた。ラバを生ませるには大型の雄ロバが要るが、名産地スペインは輸出を禁じていた。そこへ国王カルロス3世がロバを贈ってくれ、1785年秋に1頭がマサチューセッツに着く。ワシントンはこれを「ロイヤル・ギフト(国王の贈り物)」と名づけた。ところが最初の繁殖期、この雄ロバは雌馬にまったく関心を示さなかった。ワシントンは甥への手紙でこうぼやいている。「今のところ、あまりに王族気分が強くて、平民の血筋を相手にする気はないようだ」

「国に仕えて、目もかすんでしまった」(51歳・1783年)

独立戦争の終わり近く、給料の未払いに怒った将校たちの間に、議会へ圧力をかけようとする動きが広がった。1783年3月15日、ワシントンは将校たちの集会に自ら現れ、自重を説く。続けて議員からの手紙を読み上げようとしたが、字がよく読めない。ワシントンはポケットから眼鏡を取り出し、「私は国に仕えるうちに白髪になったばかりか、目もほとんど見えなくなってしまった」と言った。居合わせた将校サミュエル・ショーの回想によれば、この飾らない一言に多くの将校が涙ぐんだという。企ては、ここで立ち消えになった。

最期の頼みは「3日は墓に入れないでくれ」(67歳・1799年)

1799年12月、雪の中で農園を見回った翌日に、ワシントンはのどの急な炎症を起こした。秘書トバイアス・リアの日記によれば、14日の夜、ワシントンは苦しい息の下でこう頼んだ。「私はもう逝く。きちんと葬ってくれ。死んでから3日たつまでは、遺体を墓所に入れないでほしい」。生きたまま埋葬されることを恐れる人が多い時代だった。リアがうなずくと「それでいい('Tis well)」と言い、まもなく息を引き取った。この年の夏には遺言で、所有する奴隷を妻の死後に解放すると定めている(妻が前夫から受け継いだ奴隷は対象外)。

出典・参考資料

  • Wikipedia「ジョージ・ワシントン」、Wikipedia(en)「George Washington」
  • George Washington's Mount Vernon「Royal Gift (Donkey)」、George Washington to Bushrod Washington, 13 April 1786(Founders Online, Washington/04-04-02-0020)
  • George Washington's Mount Vernon「Gentlemen, you will permit me to put on my spectacles…」(Quotes の項)、Samuel Shaw の回想(Teaching American History「An Officer's Account of Washington's Remarks」)
  • Tobias Lear の日記「Journal Account, 14 December 1799」(Founders Online, Washington/06-04-02-0406-0002)、George Washington's Mount Vernon「Tobias Lear's Account of George Washington's Death」
  • George Washington's Mount Vernon「Smallpox」(バルバドス滞在)