トーマス・ジェファーソン

トーマス・ジェファーソン

ジェファーソン

Jefferson, Thomas

1743年4月13日 – 1826年7月4日 (83歳没)

アメリカ 政治家

トーマス・ジェファーソンの人物情報

アメリカの政治家で、第3代大統領(在任1801〜09年)。ヴァージニアの農園主の家に生まれ、33歳で独立宣言の草案を書いた。駐仏公使、ワシントン政権の国務長官、副大統領を経て大統領となり、1803年にはフランスからルイジアナを買い取って国土をほぼ倍にした。晩年はヴァージニア大学を創設している。一方で、「すべての人は平等に造られ」と書いた本人が、生涯に600人を超える人々を奴隷として所有し、解放したのはごく一部だった。奴隷のサリー・ヘミングスとの間に少なくとも6人の子をもうけたことも、現在では定説となっている。

同時代の人物

ジェファーソンが生まれた1743年には、イタリアの作曲家ボッケリーニと、力織機を発明したイギリスのカートライトも生まれている。カートライトとは誕生日が11日しか違わない。翌年には進化論の先駆者ラマルク、2年後には電池のヴォルタ、3年後には画家のゴヤが生まれた。

日本では、4歳下に蘭画と銅版画の司馬江漢がいる。独立宣言の2年前の1774年には、10歳上の杉田玄白らが『解体新書』を出した。同じころ、大西洋の向こうでは新しい国の設計図が、江戸では西洋医学の翻訳が進んでいたことになる。

2歳上の彫刻家ウードンは、ジェファーソンの胸像を作った人である。パリにいたジェファーソンは、ヴァージニア州が注文するワシントン像の作者にウードンを推した。ウードンは1785年に大西洋を渡り、マウントヴァーノンで本人を写生している。

年齢で見る生涯

  • 33歳(1776年) 独立宣言の草案を書く
  • 39歳(1782年) 妻マーサが死去
  • 44歳(1787年) 駐仏公使としてパリに滞在中、奴隷の少女サリー・ヘミングス(14歳)が次女に付き添って渡ってくる
  • 46歳(1790年) ワシントン政権の初代国務長官に就任
  • 57歳(1801年) 第3代大統領に就任
  • 60歳(1803年) ルイジアナ買収
  • 75〜81歳(1819〜25年) ヴァージニア大学を創設し、開学にこぎつける
  • 83歳(1826年7月4日) 独立宣言50周年の当日に死去

独立宣言を書いてから、ちょうど50年後の7月4日に亡くなった。7歳年上のアダムズも同じ日の数時間後に90歳で世を去っており、宣言づくりに関わった元大統領2人が、50周年の当日にそろって亡くなったことになる。

人物のつながり

  • ジョン・アダムズ:独立宣言起草委員会の同僚。1786年には二人で英国の庭園めぐりに出かけ、シェイクスピアの生家では、彼が座ったという古い木の椅子から「慣例どおり」木片を削り取った(アダムズの日記)。1800年の大統領選で争い、アダムズが退任間際に反対派を大量に任命したことで疎遠になる。1812年、ベンジャミン・ラッシュの仲立ちで文通を再開し、亡くなるまで手紙を交わした。家族の回想によれば、アダムズの最期の言葉は「トマス・ジェファーソンはまだ生きている」だった。実際には、その数時間前にジェファーソンは亡くなっていた。
  • ジョージ・ワシントン:11歳年上。ジェファーソンは初代国務長官として政権を支えたが、財務長官ハミルトンとの対立が深まり、1793年末に辞任した。
  • ジェームズ・マディスン:8歳年下で、50年にわたる盟友。ジェファーソン政権の国務長官を務め、次の第4代大統領になった。晩年はヴァージニア大学の創設でも組んだ。1826年2月、ジェファーソンは「死んだ後の私をよろしく頼む」と書き送り、マディスンは大学の学長(Rector)を引き継いだ。

エピソード

ヘラジカの剥製で「新大陸退化説」に反論(42〜44歳・1786〜87年)

フランスの大博物学者ビュフォンは、新大陸の動物は旧大陸より小さく貧弱だと説いていた。駐仏公使のジェファーソンはこれが我慢ならず、1786年1月、ニューハンプシャーのサリヴァン将軍に手紙を書く。ヘラジカ(ムース)の皮と骨と角を、ひづめも頭の骨も皮に残したまま送ってほしい、ここでは「想像以上に貴重」なのだと。翌87年秋に届いたヘラジカは毛がだいぶ抜け落ちていたが、彼は詫び状を添えてビュフォンのもとへ届けさせた。ビュフォンは次の巻で訂正すると約束したものの、ほどなく亡くなったと、ジェファーソンは後年語っている。

かかとのつぶれたスリッパで英国公使を迎える(60歳・1803年)

1803年11月29日、着任したばかりの英国公使アンソニー・メリーは、外交官の正装で大統領官邸に出向いた。国務長官マディスンに案内されて対面した大統領は、かかとのつぶれたスリッパ姿だった。3日後の晩餐会でも、ジェファーソンはメリー夫人ではなくマディスン夫人ドリーの手を取って食卓へ向かい、席順も決めていなかった。客が来た順に席に着く「ペル・メル(ごちゃまぜ)」は、身分の序列を持ち込まないための彼の方針だった。しかしメリー夫妻は侮辱と受け取り、以後、大統領官邸からの招待を断るようになった。

大統領の肩にとまるマネシツグミ(59〜65歳・1803〜09年)

大統領官邸の執務室の窓辺には、バラやゼラニウムに囲まれて鳥かごが吊るされていた。中にいたのは、歌を仕込まれたマネシツグミである。友人マーガレット・ベイヤード・スミスの回想によれば、ジェファーソンは一人になるとかごを開けて鳥を放した。鳥は机に降りて歌い、肩にとまって彼の唇から餌を取り、昼寝に向かう彼を追って階段を跳ね上がったという。気象の記録帳には1808年3月に「ディックが歌う」とある。なお、1772年に最初の一羽を5シリングで売ったのは、義父の家の奴隷マーティン・ヘミングスだった。

出典・参考資料

  • Thomas Jefferson Foundation(monticello.org)Thomas Jefferson Encyclopedia「John Adams」「James Madison」「Sally Hemings」「The Practice of Slavery at Monticello」「Jefferson's Last Words」、人名辞典DB(persons.csv)
  • Thomas Jefferson Encyclopedia「American Moose」(Jefferson to Sullivan, 1786年1月7日/1787年10月5日、Jefferson to Buffon, 1787年10月1日 を典拠とする) https://www.monticello.org/research-education/thomas-jefferson-encyclopedia/american-moose/
  • Henry Adams『History of the United States of America during the First Administration of Thomas Jefferson』第2巻(1889年)。メリー、イルホ、ピション各公使の本国宛て報告と、プルーマー上院議員の記録を引用した箇所(Project Gutenberg #72499)
  • Thomas Jefferson Encyclopedia「Mockingbirds」 https://www.monticello.org/research-education/thomas-jefferson-encyclopedia/mockingbirds/
  • Margaret Bayard Smith『The First Forty Years of Washington Society』(Gaillard Hunt編、1906年)385頁
  • Charles Francis Adams編『The Works of John Adams』第3巻、日記1786年4月(シェイクスピアの椅子)