ルイ15世
ルイ
Louis XV
1710年2月15日 – 1774年5月10日 (64歳没)
ルイ15世の人物情報
ブルボン朝第4代のフランス王(在位1715〜74年)。ルイ14世の曾孫で、2歳のときに両親と兄を相次いで亡くし、5歳で即位した。幼少期はオルレアン公が摂政を務め、1726年からは師の枢機卿フルーリーが国政を担った。1743年にフルーリーが亡くなると自ら統治したが、オーストリア継承戦争と七年戦争で財政は悪化し、1763年のパリ条約でカナダなど北米の植民地の多くを失った。若いころは「最愛王(ビヤン・ネメ)」と呼ばれたが、ポンパドゥール夫人ら寵姫の存在もあって晩年の人気は低かった。植物学や天文学を好み、トリアノンに大きな植物園を造らせた。1774年に天然痘で死去した。
同時代の人物
ルイ15世が生まれた1710年には、作曲家のペルゴレージと、J・S・バッハの長男ウィルヘルム・フリーデマン・バッハも生まれている。
ほぼ同じ世代に、18世紀を代表する長期在位の君主が並ぶ。清の乾隆帝は1歳下で、在位は約60年。プロイセンのフリードリヒ2世は2歳下、オーストリアのマリア・テレジアは7歳下である。3人とは戦場で争い、あるいは手を結んだ。
日本では1716年に、京の絵師伊藤若冲と俳人与謝蕪村が生まれた。2人ともルイ15世より長く生きた。
年齢で見る生涯
即位から死去までの在位は58年あまりで、曾祖父の72年に次ぐ長さである。ルイ14世と同じく、王位は息子ではなく孫のルイ16世が継いだ。
人物のつながり
エピソード
8歳の王が自分で刷った地理の本(8歳・1718年)
幼い王の教育係フルーリーは、テュイルリー宮殿に小さな印刷所を設けた。「国王陛下の書斎の印刷所」と呼ばれ、王室印刷業者のコロンバが運営した。ここで8歳のルイ15世は、地理学者ギヨーム・ドリールの授業をもとに『ヨーロッパの主な河川の流れ』を組んで刷った。表題には「ルイ15世が作成し印刷した」とある。6月にフランスの川、9月にヨーロッパ各国の川を刷り上げ、全71ページになった。部数はわかっていないが、王の身近な人々にしか配られなかった。
植物4000種の王の植物園(39〜64歳・1749〜74年)
ルイ15世は植物を好み、1749年からポンパドゥール夫人の勧めでトリアノンの東側に領地を広げ、動物舎や菜園を設けた。1759年には王の求めで植物学者ベルナール・ド・ジュシューが植物園をつくり、当時ヨーロッパ最大といわれた温室を建てた。庭師のリシャール父子とともに、イチゴ、パイナップル、コーヒー、タバコなどを育てる試みを重ねている。ジュシューは植物を自分の考えた自然な分類で並べ、この配列は甥の著書『植物の属』(1789年)の土台となった。王が亡くなるころ、植物は約4000種に達していた。しかし跡を継いだ孫の妃マリー・アントワネットが、自分の英国式庭園のためにこの植物園を取り壊してしまった。
夜道を急いだ葬列(64歳・1774年)
1774年4月26日、ルイ15世は寵姫デュ・バリー夫人らとプチ・トリアノンに出かけ、翌日に寒気と熱を訴えた。ヴェルサイユに戻されたのち、天然痘と診断される。若いころにかかったことがなく、免疫がなかったのである。死を覚悟した王はデュ・バリー夫人を宮廷から去らせ、終油の秘跡を受けて、5月10日午後3時過ぎに亡くなった。感染を恐れて遺体は防腐処置をされず、2日後、少人数の葬列が夜のうちにパリの西を回ってサン=ドニ大聖堂へ向かった。パリの人々の反応は冷ややかだったという。翌月、新王ルイ16世と弟たちは天然痘の人痘接種を受けている。
出典・参考資料