ジャワハルラール・ネルー
ネルー
Nehru, Jawaharlal
1889年11月14日 – 1964年5月27日 (74歳没)
ジャワハルラール・ネルーの人物情報
インドの政治家で、独立インドの初代首相。北インドのアラーハーバードで、弁護士モーティーラール・ネルーの一人息子として生まれた。15歳でイギリスに渡り、ハロー校とケンブリッジ大学で学んで弁護士となる。帰国後にガンディーと出会って独立運動に加わり、国民会議派の指導者として9回投獄された。1947年の独立とともに首相となり、1964年に亡くなるまで務めた。国内では議会制民主主義と計画経済による近代化を進め、外交では東西どちらの陣営にも属さない非同盟の立場を唱えた。獄中から娘インディラに書き送った手紙は『父が子に語る世界歴史』として刊行されている。
同時代の人物
ネルーが生まれた1889年には、4月にヒトラーが生まれている。歴史家のトインビー、詩人のコクトーも同い年である。翌1890年にはホー・チ・ミン、ド・ゴール、アイゼンハワーが生まれた。植民地の独立と東西冷戦を担う顔ぶれが、2年の間にそろって生まれている。
日本では、民芸運動の柳宗悦と詩人の室生犀星が同じ1889年の生まれである。
年齢で見る生涯
投獄は32歳から55歳までの働き盛りに集中している。『父が子に語る世界歴史』も『自伝』も、その獄中で書かれた。
人物のつながり
エピソード
父の万年筆を「失敬」した代償(5〜6歳・1894〜95年頃)
ネルーは自伝の幼年時代の章で、ある告白をしている。父モーティーラールの事務机に万年筆が2本置いてあるのを見て、欲しくてたまらなくなった。父が2本を同時に使うことはないはずだ、と自分に言い聞かせて1本を持ち出したのである。大捜索の末に万年筆は見つかり、犯人も明らかになった。激怒した父にこっぴどく打たれた少年は、痛みと恥ずかしさで母のもとへ駆け込み、何日も軟膏を塗ってもらったという。ネルーは罰を不当とは思わなかったが、以来、父への敬愛には畏れが混じるようになったと書いている。
獄中でハチと「休戦」(42〜43歳・1932〜33年)
1932年6月から1年2か月余り、ネルーはヒマラヤのふもとデーラ・ドゥーンの刑務所で、小さな独房に入れられた。同居人は壁や天井に巣を作ったハチの群れである。うっかり刺されたネルーは腹を立てて一掃しようとしたが、ハチたちは巣を守って勇敢に戦った。結局ネルーのほうが引き下がり、手出しをしてこない限り放っておくことにする。それから1年以上、ハチは一度も彼を刺さず、「互いに相手を尊重した」と自伝に書いている。別の刑務所では、じっと本を読んでいるとリスが脚をよじ登って膝に座り、ふと目が合うと慌てて逃げていったという。
匿名で自分を批判する(47歳・1937年)
1937年11月、カルカッタの月刊誌『モダン・レビュー』に、「チャーナキヤ」という筆名の論説「ラーシュトラパティ」が載った。「国の長」を意味する会議派議長の呼び名で、2期続けて議長を務めていたネルーを厳しく論じた文章である。「ジャワハルラールはファシストにはなれない。だが独裁者になる素質はすべて持っている」と書き、3期目の議長にしてはならないと訴えて、「われわれにカエサルはいらない」と結んだ。筆者は誰かと関心を集めたが、書いたのはネルー本人だった。ヒトラーやムッソリーニが権力を握っていた時代に、自分への個人崇拝を自ら戒めたのである。
出典・参考資料